研究

規範的なもの

ホネット『自由の権利』の「訳者あとがき」では、規範的な意味での普遍性について少し疑問を書いたのだけど、考えてみると、最初からそれほど問題になっていないのかもしれない。(歴史目的論の要素を除くなら)慣習的なものが重視されており、であれば、それは各社会・各文化によって異なるだろうし、したがって、社会的自由(の一部)もまたその実現のあり方は各社会・各文化によって違ってくるだろう。そのどれが正しいということにはならない……のかな?

物だけでなく

具体的な、ありありとした物がそこにあることの重要性。たしかにと思ったが、でも、そこにあるからこそ逆にエスカレートすることもありうるし、実際そうなっているケースは多々ある。

だから、たぶん物だけではなく、何か別の要素がそこに介在しているのではないか。かかわる人たちの見方や関係を少しだけ変えてしまう何か。それは何だろう。

場の仕組み・形式というか、やりとりの経過というか……。

政治的公共圏の新たな構造転換

政治的公共圏に関するハーバーマスの新しい論考。Ein neuer Strukturwandel der Öffentlichkeit? von Seeliger , Sevignani -  978-3-8487-7171-4 | Nomos Online-Shopの試し読みのところで、目次を確認できる。ハーバーマスは一番最後に30ページ近くの論考を載せているようだ。「政治的公共圏の新たな構造転換に関する考察と仮説」。

勉強

労働はもちろん、他の多くの領域も合わせて、日本社会に当てはまると思う。何が背景要因なのか、かなり長く議論の蓄積があるはず。余裕ができたら勉強したいところ。

日常

すでに言われていることかと思うが、問題は制度ではなく、日常ということだろう。日々、無意識に近いかたちでおこなわれていることにどれだけ定着しているか。

でも、その定着と実践とを支えているものは何であり、どうすれば現実化するのだろう。

持続性

  • 20年くらい考察が継続していることがわかる。理解したいところ。
  • というか、そうしないといけない。😅
  • 同じことを別の角度から見ているだけのような気もする。どこから見ているかという視点の置き方の違いのような……。

歴史研究

  • たぶんルーマン解釈としてはかなり特殊なのだろうけど、ルーマンとハーバーマスを歴史研究として、こんなふうに同質のものと位置づけるのは面白いと思う。
  • 理念と実践の相互作用をどう捉えるかということ。

言説

  • 一周まわって元に戻った。学ぶことはあった。
  • 言説であることに変わりなく、言説についての言説も言説、言説を評価する言説も言説。言説の源にある物質的なもの(?)も、それを語るときにそれは言説。言説が成り立つときの形式も、それを語るときにそれは言説。とはいえ、言説の条件は必ずそこに作用している。
  • 言説を言説でなくさせ、言説としては失わせるもの。それは物質的なものと形式とを損なわせているのかな?
  • 遠隔授業、コロナ以外の非常時容認へ 単位制限緩和など: 日本経済新聞 「非常時」限定。